教えのやさしい解説

大白法 488号
 
八 風(はっぷう)
 八風とは、仏地経論(ぶっちきょうろん)等に説かれたもので、仏道修行者の心を動揺(どうよう)させ、修行を妨(さまた)げる八種(はっしゅ)の風をいい、八法(はっぽう)とも呼ばれます。
 その八種とは、利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)をいい、これによって心が定まることなく揺らぐために、風になぞらえて八風といいます。
 『仏地経論』に「可意(かい)の事を得(え)るをば利(り)と名(なず)け、可意の事を失(しっ)するをば衰(すい)と名く。不現(ふげん)に讃美(さんび)するを誉(よ)と名く。現前(げんぜん)に誹撥(ひはつ)するを譏(き)と名け、現前に讃美するを称(しょう)と名く。身心(しんしん)を逼脳(ひつのう)するを苦と名け、身心を適悦(てきえつ)ならしむるを楽と名く」(大正蔵経二六ー三一五)と説かれています。
「利」とは経文に説かれているように、あらゆる物が自分の意のままになることです。金銭的・物質的、あるいはそれに準(じゅん)ずる利益(りやく)が思いのままに手に入ってくることをいいます。「衰」とは自分の意のままにならないことで、先(さき)の「利」に対し、あらゆる福徳を損(そこ)なうことをいいます。「毀(き)」とは自分の知らないところで悪評(あくひょう)を受けること、「誉(よ)」とは、自分の知らないところで讃(ほめ)られることです。名聞名利(みょうもんみょうり)・名誉欲(めいよよく)に執着(しゅうちゃく)することもこれに当たります。「称(しょう)」は自分の目の前で他人から称賛(しょうさん)されること、「譏(き)」は目の前で毀(そし)られることをいいます。「苦」は身心が押(お)さえ込(こ)まれて苦悩を味(あじ)わうこと、「楽」は本道(ほんどう)を忘れ一時的な享楽(きょうらく)に耽(ふけ)ることをいいます。
 この八風を大別すると四順(しじゅん)と四違(しい)とに分けられます。四順とは利・誉・称・楽の四つで、その人にとって好ましく、喜ばしい気持ちになるものであり、誰もが好む誘惑(ゆうわく)といって良いでしょう。そして四違とは衰・毀・譏・苦の四つで、厭(いと)わしく、意気消沈(しょうちん)してしまう気持ちになるものです。
 一切衆生は常に四順を欲(ほっ)し、四違を忌諱(きい)するゆえに、八風に侵(おか)されながら生き続けているといっても過言(かごん)ではありません。
 日蓮大聖人は、「四条金吾殿御返事」に
 「賢人(けんじん)は八風と申して八つのか(風)ぜにを(侵)かさるぬを賢人と申すなり」(一一一七)
と、世間の利害や毀誉褒貶(きよほうへん)に一喜一憂(いっきいちゆう)せず、八風が吹いても微動(びどう)だにしないのが賢人であると御教示(ごきょうじ)され、続いて
 「此(こ)の八風にを(侵)かされぬ人をば必ず天はま(守)ぼらせ給ふなり」(同頁) 
と、八風に影響(えいきょう)されない人には必ず諸天善神(しょてんぜんじん)の御加護(ごかご)があることを強くお示しです。
 賢人とは一往(いちおう)、徳のある人をいいますが、再往(さいおう)の正意(しょうい)は三大秘法の大御本尊を受持する人のことです。 
 私たちは御本尊をしっかりと受持し、御法主上人猊下の御指南を身口意(しんくい)の三業(さんごう)の上から拝していくことが肝要(かんよう)です。その実践にこそ、根のしっかりとした、八風に紛動(ふんどう)されない強盛(ごうじょう)な信心が築(きず)かれるのです。